
2012年02月13日発行
ラちゃんとマスオ 2人きりの24時間
1月中旬、サザエは父と母を見舞いに仙台に一泊することになりました。
そう、タラちゃんとマスオさんが初めて2人きりで過ごすことに。
マスオさんにとってはドキドキです。
まずは練習
普段、マスオさんは仕事なので、一人別室で寝ています。
休日前にはサザエとタラちゃんの家族3人で寝ます。
昨年の年末、サザエが風邪を引きどうにも動けなくなりました。
そこで、サザエは別室で寝て、マスオさんがタラちゃんのお世話をすることに。
その日のタラちゃんの育児日記です。
18時 135ml おしっこ、ウンチ
21時 135ml おしっこ、ウンチ×2回
23時 80ml
2時 90ml
5時 140ml
以前のコラムで「ミルクは3時間おき」と書きました。
実は12月下旬から1月上旬は、2〜2.5時間おきとさらに間隔が短くなっていました。
私はその日の夜、出産後2ヶ月経って初めて6時間続けて眠りました。
ぐっすり眠れたのは私にとって最高でした。マスオさん、ありがとう。
いよいよ本番
3連休の中日、サザエは午後から仙台へ。
練習はしたものの、半日以上タラちゃんと離れたことがなく、正直不安でした。
「夜、マスオさんは起きてくれるかしら?」
サザエが旅立った後24時間の育児日記です。
14時 120ml おしっこ
16時 110ml おしっこ
18時 160ml おしっこ、ウンチ大
21時 180ml おしっこ、ウンチ×3回
1時 150ml おしっこ、ウンチ
4時 90ml おしっこ
6時 90ml おしっこ
8時 90ml おしっこ
11時 120ml おしっこ、ウンチ
24時間で9回の授乳となりました。
平均約2.5時間に1回の割合です。
この間にお風呂に入れたりお散歩もしてくれて・・・。
タラちゃんは機嫌よく過ごしてくれたそうです。
マスオさん、ありがとう!
ちなみにサザエは仙台でオッパイが張り、3時間おきに夜中も搾乳をしていました。
トホホ・・・。
その日の夜のマスオ
マスオさんは、タラちゃんと一緒に駅の近くまで私を迎えにきてくれました。
1日ぶりのタラちゃんは、大人になったような嬉しかったです。
その日の夜、マスオさんは夜の9時には就寝。グッスリ眠ったそうです。
マスオ「さすがに疲れたー」
サザエ「2,3時間おきだったから疲れたでしょう」
マスオ「それもそうだけど、君がいないから緊張したよ。練習はしたんだけどね」
お疲れ様でした。
【タラちゃんとマスオさん】
【2ヶ月ごろのタラちゃん】
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2012年02月06日発行
引き締め作戦 〜準備中〜
出産して3ヶ月が経ちました。
サザエもご多分に漏れず、お腹がブヨブヨです。
タラちゃんのためにキレイなママでいたい!
重くなっていくタラちゃんを抱っこしたい。
引き締めのために着々と準備を始めまました。
まずは正しく計測
我が家にあった体重計は壊れてしまいそのままでした。
現実に目を背けているのが一番よくないんですよね〜。
ということで、新しいのを仕入れました!
体組成計です。
すごいのは、スイッチを入れず体重計に乗るだけで測ってくれます。
さらに、あらかじめ身長や生年月日を登録し体重を登録すると、何もしなくてもサザエと認識して、以前測ったデータと比較してくれます。
でも私の体年齢は36歳なのに、マスオさん(サザエと同い年)の体年齢は26歳って・・・ショック。
モチベーションアップ↑
新しいスニーカーを2足ゲットしました。
ちなみにマスオからの誕生日プレゼントです(マスオさん、ありがとう!)
左はいわゆる「トーニンングシューズ」。
シェイプアップを目的としたスニーカーです。
靴底の外と中が不安定なため、安定を保つように筋肉が動くのだそうです。
タラちゃんのお散歩で30分歩きましたが、ふくらはぎに効いている感じがします。
外出時間がとても少なく、三日坊主のサザエにとっては、お手軽でいい感じ
右はトーニングシューズの真逆、疲れた足を休ませるものです。
とおっても軽く、なんといってもピンクのデザインがかわいい。(^^)
育児学級など遠出や、タラちゃんを抱っこする場面はこちらを使います。
この2つを使い分けることで、寒い中でも楽しくお散歩ができます。がんばるぞー。
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2012年01月30日発行
意外と知らない赤ちゃんとの生活(新生児〜3ヶ月未満編)
〜「何がそんなに大変なの?」←私も知りませんでした〜
「3時間おきにミルクをあげればいいんでしょう」の実態
新生児(生後一ヶ月未満)は胃が小さいため3時間おきに栄養のすべてであるミルクをあげます。入院中昼間は私が行い、夜は病院の助産師さんが担当していました。しかもミルクは助産師さんが作ってくれたものをタラちゃんにあげていたのです。夜も可能な限り眠れましたし、タラちゃんのお世話以外は点滴をうちながらテレビを見たりノンビリできました。(その病院は母子別室で、お母さんは極力体を休めるという方針です。病院によって全く異なります)
状況が変わったのは退院したその日の夜からです。
タラちゃんは計ったように3時間おきに泣き出します。サザエはおっぱいをあげますが、タラちゃんは吸う力が弱く、吸い方もまだまだ上手ではないため飲むのにとても時間がかかります。
加えておっぱいの出が悪いため量が足りません。人工ミルクを作って飲ませるのですが、不慣れなため作るのに時間がかかります。粉ミルクの量を測り、お湯を入れ、湯冷ましの水を入れます。 ミルクの温度は人肌にといいますがどれぐらいの温度が適温なのかもわかりません。その間にもタラちゃんは泣き続けていますので、急がなくちゃとサザエは汗ります。入院中は助産師さんにしてもらっていたので大変さがわかっていませんでした。
ようやくできたところでタラちゃんにミルクをあげますが、なかなか飲み進みません。飲みながら寝るときもあります。一度に飲みきらないので、途中オムツを替えて再び飲ませます(ミルクのたびにウンチをします)。その間にミルクはぬるくなってしまいます。ぬるいミルクをタラちゃんは飲まないので湯銭で温めておきます。その後飲ませても作った量全部を飲むとは限りません。足りない場合は追加でミルクを作って飲ませます。お腹いっぱいになったかなあ?と見極めてその後ゲップをさせます。これが十分じゃないとミルクを吐いてしまうので、お尻や背中をトントンと叩きます。
飲んだ後は寝かせます。最初タラちゃんは飲むと寝てくれていましたが、1か月を経過する頃、夜はすぐ寝てくれなくなりました。抱っこしたり、サザエのお腹の上にうつ伏せに寝かせたり、30分はかかります。タラちゃんは温かいので私もついウトウト。お腹からズレ落ちそうになりあわてて起き上がったことが何度もありました。
「眠たい」との戦いの実態
友達に妊娠を知らせると、すでに子育てが終わっている先輩ママから「出産したら眠れないから今のうちに寝とけ〜」「当面は3時間おきだね。大変だけどがんばってねー」とエールを送られました。出産前の私は「3時間おきに起きてミルクをあげればいいんだよね」程度に考えてました。
実際に上記のようにミルクをあげますが、慣れてしまえば作業自体はさほど時間はかかりません。問題は寝る時間とサイクルです。
ミルクをあげる作業を時間の経過とともにあらわした表です。(@がスタート)
表の青い部分がサザエ(私)が寝る時間です。3時間のミルクタイムのうち眠れるのは1〜1.5時間。1日は24時間ですから、3時間おきの場合8回行います。計算上は1時間×8回で8時間の睡眠時間は確保できますが、このように細切れになるので、寝た気がしません。昼間は自分の身支度や食事、洗濯などの家事、タラちゃんをお風呂にいれるなどの作業も発生します。
最初のころは慣れないし、目が覚めてしまっているので、次のミルクタイムまで眠れないこともありました。慣れてくると、即眠れるようになりました。
とにかく眠い!常に頭がボーっとしていて物事が考えられません。先輩ママたちからは、「赤ちゃんと一緒に昼寝したらいいよー」と言われていましたが、それまで細切れ睡眠も昼寝もしたことなかったのに、今日からすぐ切り替えるとはいきません。生活パターンも睡眠のリズムも180度違う生活になりました。これが生まれてから3ヶ月ぐらいまで(赤ちゃんによって違う)毎日ずっと続くのです。昼間もパジャマだし布団はずっと敷きっぱなしです。
熱海旅行に一緒に行った友達の一人は、産後休業を2ヶ月で終了し育児休業と取らず即職場復帰したので、昼間働き、夜は3時間ごとにミルクをあげたそうで、「朝早いミルクの時は寝ないでそのまま仕事場へ行ったー」とのこと。脱帽です。育児休業があって、また取れて本当によかった。
【ミルクを作る必須アイテム〜私の強い味方たち】
大人の想像力が試されている
@ 湯たんぽ編
夜ミルクを飲んでもすぐ寝てくれない日が続きました。夜中から朝まで3回はあります。あやして寝ても、すぐ次のミルクタイムになってしまうこともありました。「なんでだろうなあ?どうしたらいいのかなあ?」と考えていたところ、主人の会社の同僚の方から湯たんぽを頂きました。その方の経験から夜赤ちゃんが寝るときに、布団が冷たいと寝ず泣いていたから、というものでした。実際その日の夜から試すと寝てくれたのでビックリ!「ミルク飲んでお腹いっぱいになったら赤ちゃんは寝るものだ」と思い込んでいて、布団が冷たいからなどとは想像もつきませんでした。よく考えたら子どもや大人でさえも足が冷たいと眠れないですものね。
A オムツ編
オムツのサイズは一番小さい新生児用サイズから、S、M、Lと大きさによってサイズを替えていきます。サイズの目安は体重です。タラちゃんは生後一ヶ月が経過しても3700gと体重がなかなか増えませんでしたので、新生児用(目安:誕生〜5kg)を使っていました。
その生後一ヶ月ぐらいから、肌着のわき腹や背中が濡れることが頻繁に発生してきました。「汗かな?オシッコ漏れかな?」と不思議に思っていました。医師にも相談しましたが、「汗をかくには時期がまだ早いなあ。オシッコなら臭いがするけどなあ」とこれだという答えがありません。一夜で3回着替えることもありました。(洗濯が大変でした)
丸2ヶ月頃の12月下旬に体重が4200gになりました。もしかして?と思いSサイズのオムツを買ってあててみました。するとピッタリ!!。(この1ヶ月の着替えや洗濯の苦労は何だったんだー)
タラちゃんをよ〜く観察したら、太ももやお尻の肉付きがよくなっていました。オムツは体重だけじゃなく体格・体型が肝心なのね、と勉強になりました。
生後1ヶ月頃のタラちゃん・・・だいぶ赤ちゃんぽくなりました
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2012年01月24日発行
「タラ夫誕生」
ご無沙汰しております。サザエです。
先日出産直前の様子をお伝えしました。
無事にタラ夫(男の子)を出産しましたので、その様子を報告します。
無事に出産
10月28日午後3時46分、帝王切開によりタラ夫が生まれました。体重2510g、身長46.7cmの元気な男の子。通常赤ちゃんは40週(10か月)で誕生ですが、タラ夫はサザエの病気のため36週(9か月)で外界へ出てきました。そのため他の赤ちゃんと並ぶと一回り小さい。でもかわいさは人一倍大きい(親ばか)です。
前置胎盤という病気のため通常の帝王切開手術より出血が多く、私の血が1500cc体から出て行ったそうです。そのため事前に採っておいた400ccの自分の血液を手術後に輸血。 その後は追加の輸血はなかったものの、左右の腕には点滴と血圧計がつけられ、おしっこの管をつけられ、足には血栓防止のマッサージポンプ、指には酸素濃度を測る器械と、まさに管だらけ。 点滴は退院までに15本以上は私の体を通っていきました。
手術の様子は鮮明に覚えているのですが、ここでご披露するにはあまりにもグロテスクなので割愛します。
生まれた直後のタラちゃん
手術後・・・帝王切開は痛い
事前に帝王切開ということは説明を受けていて、お腹を切ることもわかっていたけれど、あれほど痛いと聞いていなかった(調べなかった)ので、とにかく『忍』の一字で耐えました。出産するとそれまで大きかった子宮が急速に元の形に戻ろうとする子宮の収縮が始まります。いわゆる後陣痛といわれるものですが、この痛みが半端じゃない!眠れません。全身を管につながれた状態で、ベッドのパイプに両腕をぐっとしがみつきながら、「痛みが緩和されるから」ということで24時間寝返りをうってうってうちまくっていました。自然分娩と違って出産前の陣痛経験がないので痛みの比較はできませんが、これに丸2日耐え、3日目は泥のように眠りました。
赤ちゃんとの対面の感想は・・・「男前だね〜」
帝王切開の手術開始後、約15分で生まれました。「元気な男の子ですよ〜」と言われてビックリ!事前に性別を聞いておらず、大方の予想が女の子だったので、男の子と聞いて「えー、タラ夫なの?!」と。その後私のそばにタラ夫が運ばれてきました。私の第一声が「男前だねえ」でした。目や鼻が大きく整った顔だったのです。これは主人に似てくれてホッとしました。
タラ夫との対面を終えた後は、全身麻酔となり手術が終わったのは1時間後でした。
再びタラ夫と会えたのは三日後の朝でした。生まれたばかりの時は全身が子宮膜の脂で覆われていたため白っぽかったのですが、助産師さんたちにきれいに洗ってもらい白っぽさもだいぶ取れて顔立ちがよりはっきりしていました。
体重が2510gはよく見ると本当に小さくて小さくて。新生児室で別の赤ん坊と並ぶと一回り小さかったんです。鳴き声も「ホゲェ〜、ホゲェ〜、」とかよわく小さい。まったくうるさく感じません。自分の子だからでしょうが、ただただ可愛いものです。
生後4日目のタラちゃん
産後のサザエの体は大変
手術の傷の痛みや子宮の収縮が収まったら、はい元の体にというわけにはいきませんでした。手術時に脊髄に麻酔を打った影響のため鈍い頭痛が2か月近く続きました。入院中はほぼ毎日点滴、退院後は痛み止めを飲み続けてました。
おっぱいがうまく出ず岩のようにガチガチに固くなり熱を持ったため、夜中も保冷剤で冷やしました。持病の腰痛が再発し、足は象の足のようにむくんでしまいました。
妊娠中は病気のためずっと安静にと指示されていたこともあり、体力・筋力が落ちていたため、家事などで立ち続けることができません。タラ夫の世話だけで1日が終わる日々が続き、年内はほとんど外出しませんでした。
サザエのコーナーは当面タラちゃん子育て日記になるかと思いますが、引き続きご愛読をよろしくお願いします。これからも不定期で更新していきます。
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2011年10月27日発行
「タラちゃんを生みます」
出産日10月28日
ご無沙汰しております。サザンフラックス労務室通信の中にも書きましたが、わたくしサザエは10月28日にタラちゃんを生みます。性別を聞いていないので、タラ夫かタラ子かは生まれてからのお楽しみです。
日付が決まっているのは帝王切開による出産のためです。
マンガのタラちゃんみたいにかわいい子がうまれてくるといいなあ思っています。
(っと原稿を作成している最中にお腹が動く動く)
9ヵ月目のお腹です。男?女?どっちかな?
出産日が予定日より一ヶ月早まる
前置胎盤という病気のため、当初の出産予定日より一ヶ月ほど早く出産します。
9月中旬に医師より出産日を指定されました。
私と家族は大慌て。出産や入院準備、赤ちゃんの寝る部屋づくり、客間づくり、赤ちゃんに必要な用品の購入、産後のバックアップ体制の整備(被災した実家の両親は来られるのか? 来られないときはヘルパーさん頼めるか?家族は会社を休めるのか?)などなど。 マンションの大規模修繕工事と時期が重なったため、ベランダの片づけやレンタル倉庫の手配、荷物の移動、ともう大忙し。
しかも地区の運動会や敬老会の手伝いもあり・・・。毎週末はこれらの対応に専念していました。
産着を縫いました
予定が早まったため、産休が10日しかありません。「マタニティライフ楽しんだらいいよ」と先輩ママたちに言われていたのですが、毎日バタバタと忙しい日々を過ごしています。
そんな中でも産着を2着縫いました。いわゆるコンビ肌着です。まだ性別がわからないので色が選べず、無地のベージュとやや地味です。20数年ぶりに裁縫をして一つの洋服を縫いましたが、大変だなあと思いました。
子どものモノを色々準備していて気づいたのですが、おむつは紙、産着や洋服は買ったりおさがりを頂きます。
便利グッズやレンタル品も充実しています。きっと以前よりは便利になっているのだなと。
そんな中、子どものために何か残してやれるものはないか?ということで、産着を縫うことにしました。
子どものためというよりは私の自己満足のためかもしれませんが。
出来栄えはいかがでしょう?(全部手で一針一針縫ったんですよ〜)
41歳を迎えました
家族が手料理を作って祝ってくれました。(製作4時間、食事時間30分!)誕生日を祝うという年でもありませんが、友人からもカードが届き、「いくつになっても『おめでとう』を言ってもらえるのは嬉しいものだなあ」と思います。あ、実は私の母も誕生日が同じです。いつもお互いにおめでとう、と言い合います。
友人たちからは「いよいよだねー」と赤ちゃんがうまれることを私以上にドキドキしてくれています。私は不思議とまだ緊張していません。たぶん出産日の当日、手術台の上で機械を取り付けられるあたりにスンゴク緊張すると思います。
40歳で生んだ友人から「これまでの40年間の人生経験がまったく通用しない世界だよ」と言われました。出産や育児は未知なる世界ですが、その未知を経験させてくれるだろう子どもに感謝です。41歳だけど「ママとしては0歳」です。子どもと一緒に小さいながらも一歩ずつ成長できたらいいなあと今は思っています。
今日のメニューは、ふろふき大根、海苔巻、お吸い物。よくできました!
最近は、こんなローソクがあるなんて・・・。
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2011年06月08日発行
「家電を大人買い」
必要に迫られて・・・
6月、我が家には新しい家電が沢山やってきました。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機・・・真新しくって送れて入学した1年生のように嬉しくなりました。
実は気分一新というわけではなく、必要に迫られてのまとめ買いでした。
テレビ・・・地デジに対応するためで。間際は配送が混むと踏んで。
オーディオ・・・CDの音が出たり出なかったり。音楽でリラックスするはずが、イライラが募ることに。
冷蔵庫・・・音が「ぶ〜ん」と鳴り響いて。
洗濯機・・・開け閉めするドアが壊れても、ガムテープで補修しながら何とか使っていました。
とうとう注水途中で何度も音が鳴りSTOP。全自動なのに回りだすまで見張り番してました。
エアコン・・・昨シーズンの冬に暖房を付けたのに、送風から〜。母から「買い替えなさい」の命令が。
家電てスゴイ!〜1○年ぶりに買い換えたもので〜
なかなか物を捨てられない性格と、勿体無い性に加え、買い物が苦手&下手な私としては、大きな金額を動かす家電を買うのはまさに清水の舞台から飛び降りる気持ち。
が、これ以上は我慢がならぬということで、家族と協力して買い換えました。
いやはや今ドキの家電はスゴイ!と改めて思いました。
テレビ ・・・画面は小さいのですが映りは鮮明。オーディオ・・・残念ながら前のほうが音響は良かった。
冷蔵庫・・・大きさは変わらないのに収納力がスゴイ!実はうちは物があまりないのでガラガラです。
洗濯機・・・音が静か!風呂水をポンプでくみ上げるのですが、足りない水は水道から自動的に注水してくれるとか!!なんと!これまで使っていた風呂水ポンプもちょうど壊れたので、私としては一石二鳥。
エアコン・・・フィルターの掃除が嫌で、エアコン自身が掃除をしてくれるタイプを切望して購入。
「リモコンに掃除マークがないなあ」と思っていたら、切ボタンを押すと勝手に掃除が始まるとか!なんと!!すごすぎ。
取り扱い説明書を読むのは嫌いではないので、どの家電も一通り読みましたが、とてもわかりやすい。
それ以上にどの家電も、ボタンを操作すればどうにか希望通りに動くことが分かりました。
携帯電話の取り扱い説明書とは真逆ですね。
配達業者や代行会社のサービスの丁寧さに驚き
一番驚いたのは、配送業者や取り付け会社の方々のサービスレベルが、以前家電を買ったときに比べ高くなっていることでした。
冷蔵庫はヤマト運輸さんの関連会社の方が配送・取り付けをされました。(てっきり○ッ○カメラさんがくると思ってたのでおどろき)
その方から「冷蔵庫の配置ですが、すっぽり奥まで入れると前には出ませんが、扉の開閉が90度までになります。前に少し出ると扉の開閉が広くなります。僕としては前に出した方がいいと思うのですが」と適切な提案をしてくれました。
洗濯機についても、水道の蛇口にその洗濯機に合った部品を用意して取り付けたり、「洗濯機を使わないときは、水道の蛇口は閉めておいてください。どこから水漏れがするかわかりませんから」と注意事項を言ってもらったり・・・。
エアコンの取り付けに来た代行業者の方は、「窓開けていいですか?」と小さなことも一つ一つ確認したり、「室外機の大きさは前と変わりません」「リモコンの使い方わかりますか?」と私たちを気遣うお話をしてくれたり。
昔は、ただ配送して取り付けて帰るだけだったのに。。。お二人とも部屋が汚れていないか細部までチェックして名刺を置いてお帰りになりました。
委託会社との関係や競争が激しくなっているせいでもあるのでしょうが、現場で頑張っている人はすごいなあと感じ入りました。
おまけ
家電ではないのですが、同じフロアで売っていたので以前から欲しかった布団を買いました!
私は腰痛持ちなので、腰痛を和らげる固めのボコボコしたものを買いました。
布団を買うのは人生初です。(実家からもらってばかりだったもので)
毎日使うものですし、人生の1/3はお布団の上にいるので、ちょっとお金をかけました。
寝心地最高。
これでしばらくほかの物は買えません。
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2011年05月10日発行
「家庭菜園 〜絹さや編〜」
初めて絹さやを収穫しました
20個ほどを。(ブヒヒ)
↑「育てるのに苦労しなかったー」と家族が言っていました。
苗と土、それとポールを買い、植えて、毎日水をやるのみだそうです。
私は収穫して、写真をとっただけですが。(^^;)
実は家庭菜園はミニトマトしかしたことなく、しかもそのとき収穫できたのは1個だけ。
絹さやは20個も採れてうれしぃ。
食べてみました
味をつけず、ゆでて食べてみたら・・・最初は苦い!でもその後甘い。
外側の皮が苦く、中の豆が甘いのです。何とも言えず美味しかった〜〜。
塩もマヨネーズも付けずにパクパク。
次は絹さやのお味噌汁を作ろうっと。
絹さやの花の色は何色?
↑白い小さな花が咲きます。知らなかったです。
大きさはスーパーに売られているものの半分ぐらいですが、ドンドン実がなるのが楽しい。もうすずなり。
ぼや〜っとしていると、実が干物状態になってしまうので、
機会を逃さず収穫するのがポイント。
また、しぼんでしまった実は、取ってしまいます。
そうしないと、次の実に養分がいかないようです。
丈は2m近くまで伸びるとか(苗を売ってくれた店長さんより)。
収穫とあわせて、慎重の伸びも楽しみですわ。
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2011年04月08日発行
「震災後の町並み 〜意外と丈夫だった私の実家。でも・・・。〜」
海から津波が襲ってくる映像は、1人平均10回以上はご覧になったのではないでしょうか?
もうしばらく見なくていいなあと思ったりもします。
避難所ぐらしをしている妹から、私の実家の周辺の写真が送られてきました。
今回はこの写真を解説しながら、わが実家の状況について書きます。
故郷に津波が来た!
避難した直後に、高台から海の近くの平地に向けてとった写真です。↑
ちなみに真ん中やや右側にある黒い瓦屋根に白い壁が、私の実家です。
この写真だけでは、分からないと思いますので、津波が引いた後の写真を載せます。↓
私の出身地の大船渡市では、「50年に一度大きな津波がくる」といわれていました。
(今回は70年ぶりのようですが)
よって小さい頃から避難場所は、高台にある小学校と教え込まれていました。
ほとんどの方は逃げきれたそうです。
亡くなったかたも何名かいらっしゃいましたが、父の話では「津波はたいしたことはないだろうと思っていたのではないか?」とのことでした。
現在大船渡市は死亡者数281名、行方不明者225名、合計506名。(4/6 17時現在)
人口が約3万人ですので、人口比率にすると1.7%になります。
水産業の被害だけでも526億円とのことです。
どこからきたのだろう?この船
私の住む地域は、老夫婦が養殖業を営む零細漁業民が中心です。
その漁民が持つのは、定員4〜5名がやっとこさ乗る小さな漁船です。
が、今回の津波で、道路の脇の高さ1.5mのコンクリートの上に大型の漁船が乗り上げました。↓
もう少し寄って見ましょう。下からのアングルです。手前は道路です。↓
ちなみに2隻ではなく、1隻とのこと。
こんな大きな船は、私の住む地区では必要ないんですよねえ。どこから来たか??
これでは瓦礫を運ぶ大型のダンプカーは通れません。復興を阻むなあ。
どこからきたのだろう?この家
私の実家の地域は世帯数が約100世帯、現在避難所には120人前後が避難しているそうです。
避難者リストも載らないくらい小さな集落です。
平地は少なく、高台までなだらかな坂が続きます。そこに家々が建っています。
↑メインストリートには、唯一の商店がありますが、自動販売機の扉がこじ開けられています。
↑メインストリートの一角から、私の実家(黒い屋根瓦の2階建ての家)を写しました。
手前の白い建物は昔の商店でした。シャッターの一部が開いて、向こうが筒抜けに見えます。瓦礫です。
でもこの店舗は自宅を兼ねています。自宅は流されたのでしょう。
また写真の左側にあるグレーの屋根瓦の家は、元は私の実家の右側二軒隣にあった家です。
津波でスライドしてきたんですね。
そして元々そこにあった家は、跡形もなくなっていました。
今回の地震で地盤沈下が起きたといわれていますが、ごたぶんにもれずこの地区もそうです。
満潮時には、手前の道路が冠水となり、車が通るのがやっとになるとのこと。
↑さらに実家に近づいた写真です。
実家を含め、平成以降に建設された作りがしっかりした家々は、あの津波に流されることなく立っているそうです。
ちなみに実家の家の前は、本来は畑です。その畑の上にある傾いた赤い屋根の家は、小・中学校の同級生の森君の家です。本来は三軒隣にあったはずなので、こちらもスライドしてきました。
家の中にも入れないそうです。
意外と丈夫だった我が家。でも・・・。今選択の時。
写真から、実家は以外に丈夫に建てられていることが分かりました。傾いてもいないそうです。
大部分がきれいに残っている外観を見て、最初はほっとしました。
しかし、実際の家の中はほとんどのものが使い物にならないそうで、かなり捨てたと父は言っていました。
(写真はだいぶ片付けられたものです)↓
1階はすべて津波に浸り、2階も畳が浮き上がりました。
かろうじて2階のタンスまで水がいかなかったため、布団が少し残りました。
今、実家の家族は、家を壊すか?残すか?の選択に迫られています。
4月8日までに家を壊し瓦礫の撤去を申し込めば、全額公費で行ってくれると発表されたからです。
瓦礫の撤去は4月11日から始まるそうです。復興は着実に始まっているのですね。
家は、リフォームすれば住めるのですが、費用の問題(数千万円かかる)と、近くの道路が冠水する状況で今の家に住み続けられるのか?の心配があります。
でも、まだ建ててから17年しか経っていないし、汗水働いた結晶という思い入れもあるし。。。
避難所生活に戻った父と毎日電話をしていますが、毎日答えが違います。
一昨日は、「壊すごとにした」。
昨日は、「やっぱり残すべ。惜しいもの。娘たちより家の方がイトオしい」。
今日は、「壊す気持ちが8割だ。仮設(受託)申し込むもの」。
父と母とでも意見が違いますし、地元に勤める妹に家を残したいという希望もあり、想いは複雑です。
私は「正解はないがら。後悔しないように、あがけるだけあがいて」と言っています。
復興とは、こういう選択の連続なのかもしれません。
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2011年03月28日発行
「絶望と希望と 〜大震災後の今を生きる人〜」
今回の大震災で亡くなられた方、ケガや今なお避難所等に避難され、また風評被害等に苦しんでいる方に心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
故郷の町の様子
このコラムの記念すべき第1回目に、私が岩手の大船渡市の出身であることを書きました。もう一度このような形で、私のふるさとを紹介することは大変心苦しく思います。
大船渡市は人口約3万人、今回の大震災で町ごと壊滅的な被害を受けた陸前高田市の隣の市です。大船渡市の隣が釜石市です。
2月21日のコラムに登場した、高校の同級生で地元出身者は皆無事でした。それ以外にも同級生は無事でした。そのうちの1人のご主人が、このガソリン不足の中、3月20日に現地に入り撮ってきた写真がありますので、ご紹介します。
写真の解説↑
右側真ん中より右側に黄色い看板があります。
その下は店舗です。このお店は岩手のお土産として有名な「かもめの卵」を製造・販売する「さいとう製菓」の本店です。本来はその店舗の前に道路が右から左に通っていて、周辺には居酒屋、クラブ、写真屋、など小さな商店がひしめき合っていました。
今は影も形もありません。
写真の解説↑
少し高台から、海(大船渡湾)の向けた1枚です。
右上の看板は陸前高田市の惨状でも有名になった「MAIYA」というスーパーの看板です。(大船渡店が本店)
また、写真の右下に斜めに線のようなものがありますが、これはJRの線路です。
大船渡駅は「MAIYA」の近くですが、今は影も形もないとのこと。
写真の解説↑
大船渡の中心街から山の方を写したショットです。住宅街の中で、道路に瓦礫がうずたかく積まっています。
写真の解説↑
こちらは一緒に熱海旅行へ行った友達の実家です。天井部分まで津波が来ているのがよくわかります。
それ以外にもたくさんありますが、どこを見ても瓦礫の山と、津波がもぎ取っていた町の様子ばかりです。もともとシンボル的な建物が少ない町で、ここがどこなのか?見分けがつかないというのと、こんなところまで津波が来たのか・・・が率直な感想でした。
友人たちに感謝
私の実家の安否についてはこの後書きます。
今回の地震・津波の直後から、友人、先輩、会社の方たちが安否を気遣うメール、電話をくれました。
避難所に電気が通じてないので、50人ぐらいの知人・友人にメールで節電のお願いをしたところ、みなさん快く受けていただき、また私の体を気遣い、励まし、そして友達たちにメールを転送してくれました。
中でも印象に残ったのは、「『(電気を)消すんじゃない、(電気を)届けるんだよ』と言って、会社の子にメールを転送したよ」というものでした。
実家の両親たちが無事な連絡をしたところ、皆が「本当に良かった」「こっちまで明るくなった」「涙した」など、私以上に喜んで電話をくれる友人もいました。
皆さんの気持ちの温かさに励まされました。感謝です。
私の実家は・・・両親の避難物語
私の実家は漁業を営んでいます。養殖がメインで主にカキとホタテを作っています(かなり美味いです)。家は海から10m、海抜2mぐらいにある2階建の一軒家です。
3月初めから両親たちは、陸前高田市の山間にある温泉に湯治にでかけていました。
しかし、今回の大震災の3日前に地震があり、60cmの津波がきたため、養殖筏(いかだ)を修理すべく、震災の前日に帰宅し朝から海の上で作業となりました。
大震災当日の朝も、海に出ると言っていたそうです。
今回の津波の映像を見て、私は「これはダメだ」とあきらめていました。
船の上にいて、地震に気付いたとしても、高齢な両親たちは、高台へ逃げきれないだろうと。また、妹も海から5mのところに職場があり、「逃げ切れたかどうか?」と不安でした。夜もほとんど眠れず、「弔事を考えねば」と思っていました。
結果は3人とも助かりました。
妹はまだ話せていないのでどうやって逃げ切れたかわかりません。
両親は、午後から農協や病院へ用事で、自宅を離れ町にでかけていました。
地震直後、農協にいた父は母がいる病院へ車で迎えにいきました。自分の家にそのまま戻ろうとしたところ、津波が来たので、近くに高台にあるのを思い出し、全速力で車を走らせました。道もだいぶ混んでいたそうです。
父の後ろにいた車は、その高台には来なかったそうです。きっと津波にのまれたのではないかと。
普段から病院をはしごする両親ですが、この時ばかりは、2人一緒で、かつ車に乗っていた幸運に感謝するしかありません。
母から笑顔が消えた 〜"気持ちに寄り添うこと"とは?〜
私の家族は無事に避難できました。
家は2階まで浸水し、瓦礫の山で残念ながら住める状態ではないそうです。
しかし、避難所は、電気・水道が通り、食事も3回でていて、かなり恵まれているのではないかと父は言っています。
先日も、避難所のみんなと一緒にバスで30分ほどの山間にある温泉場へ行き、10日ぶりにお風呂に入って「サッパリした。気持ちよかった」と言っていました。
ただ、この中に、1人だけ行かなかった人がいました。私の母です。
母は、被災した直後から、気持ちがふさぎこみ、避難所でもほとんど寝てばかりいるそうです。地震前から引いている風邪が治らず、あわせて集団生活の中で、夜もほとんど眠れていないと訴えています。被災した自宅を一度見たきりで、家に行こうとはしません。今も私や妹たちからの電話にほとんど出てくれません。「話したくない」と言っています。
普段は比較的明るく、韓国ドラマをこよなく愛する母です。よく笑い、失敗した時でも笑ってごまかすぐらいの人でした。なので、私が受けたショックは大きく、かわいそうで、そばにいてあげられないことに申し訳なく思いました。
でも母が受けているショックはもっと大きいはずです。
苦労して自分たちが建てた家が壊れ、船がひっくりかえり、筏が流され、大切に育てた海産物が収穫できないのです。
しかも、気仙沼に住む妹家族の消息が今もわかりません。
彼女の受けた恐怖と絶望感は計り知れません。
母は、今の集団生活から抜け出して、ゆっくり眠って風邪を治し元気になりたいと言っています。ガソリン不足ではありますが、仙台の妹夫婦のところへ移動する予定です。
環境を変えます。今は待つしかありません。
「元気か?」ではなく「なぞった(どう)?」と話し始める
震災から10日以上たち、不安ながらも頑張っている被災者の映像が映しだされます。感動的な場面もあります。
しかし一方で、私の母のように、いまだ気持ちの整理がついていない方もいらっしゃると思います。
その方たちに、周りが復興を目指しているのだから、あなたも・・・というのは危険ではないでしょうか?復興のスピードは人それぞれだと思います。
震災後、初めて父と話した時、「生きててくれてありがとう。元気か?」と尋ねました。
父は、「はあ〜」と大きなため息をひとつつき、「うんうん、元気だ」と言っていました。
それは自分に言い聞かせるような感じでした。
私は「失敗した」と思いました。
元気か?と聞かれて「元気じゃない」と応えられる人は、あまりいないのです。
その気遣いがありませんでした。「無事で元気でいてほしい」という私の気持ちを押しつけてしまったのです。
次回から電話では「なぞった?(=どう?)」と話し始めています。
そうすると、今の気持ちを吐露してくれています。
身内であっても気持ちを寄せるのは難しいことです。なぜなら私は、津波を経験していないからです。惨憺たる惨状をテレビや映像でしか見ていないのです。
でも、彼らはそれらが毎日現実に目の前に在るのです。
その違いをしっかりと踏まえながら、家族に心を寄せて行く行動をしなければと思い、毎朝電話をかける日々です。
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2011年03月14日発行
「うちの事務所の社食」―混んで欲しくない、教えたくない、美味しいお蕎麦屋さん
うちの事務所の社食
当サザンフラックス労務室には社食があります。
正確には、うちの代表が週に4日〜5日食べる行きつけのお蕎麦屋さんの「伊奈」さんです。↓
美味い・近い・安いの三拍子そろっています。
ちょっと太めの信州そばと、それに負けない濃い付けだれの組み合わせが何とも言えません。(写真はきつねそばの温泉卵のせ)↓
しかもメニューはお蕎麦だけにとどまらず、天丼や牛すじ丼といった丼ものもあります。
カレーは辛いんですけど、ついつい食べちゃうウマサです。しかも一皿500円。
他のカレー屋さんにはない独特の味が、また食べたくなるんです。↓
ちなみにこの日のうちの代表は、きつね蕎麦+温泉卵(410円)でした。↓
ペロリ。汁までゴクン。↓
私は新メニューのごまダレ蕎麦(480円)。
付けダレが濃厚でヒンヤリ。これからの暖かくなる季節に最適。↓
お蕎麦屋さんのコンサルティング
「伊奈」さんはお蕎麦も美味しく、かつボリュームもガッツリなんですが、安い。
私たちのお財布に優しいお店です。
お蕎麦だけでなく、サイドメニューまで安いんです。
例えば「牛すじ丼」。単品(持ち帰り可能)で250円。
先日うちの代表が、この「牛すじ丼 250円」を見て、
『250円のサイドメニューだしきっと小ぶりだろう』と思って普通のお蕎麦もあわせて頼みました。
そうしたところ、牛すじ丼がしっかり1人分あったので、お蕎麦と合わせて2人分だ!と言ってお腹いっぱいになって帰ってきました。
(その話を聞きつけ、私も単品お持ち帰りで食べてみました。
ホントしっかり一人前。しかも牛すじが相当煮込まれていて、お肉が溶けるよう!!。
ちょっと濃い目の味で、特に男性は好きな味だと思いました。
さらにインスタントの味噌汁までついて!気前良すぎです。)
そこで、うちの代表が「お蕎麦と牛すじ丼のセットメニューを出すときは、牛すじ丼をちょっと小ぶりにしてみたら?」とカウンター腰に、お店の方にアドバイス。
そうしたところ、次に行ったときは本当に小ぶりになっていたそうです。
なんて素直な伊奈さん!!
いつまでも社食でいてほしい・・・代表のつぶやき
「伊奈」さんは一時お休みしていましたが、昨年の夏すぎからお店を再開。
当初はそれほど混んでいなかったんです。
しかし、うまい・安い・近いが知れ渡り始めたためか、最近は常連さんが増えてきたそうです。
繁盛は嬉しいのですが、社食(ちょっと前まで私食?)じゃなくなるみたいで、ちょっと寂しいと感じているうちの代表。
でももうお休みしてほしくないのがホンネなので、たくさんの人に食べてほしいのも代表の願いなんです。
ぜひ一度お蕎麦をすすりに立ち寄ってみてはいかがですか?
(伊奈さんのご主人はかなりシャイな職人さん。おかみさんは3人のお子さんを育てながら頑張るママさん。とても気さくで笑顔が素敵な方なんです)
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2011年03月07日発行
「うちの代表」〜事務所名の由来編〜
なぜ"サザンフラックス"なのか?
当社はサザンフラックス労務室という社会保険労務士事務所です。
弁護士や税理士などと同様、いわゆる"士業"です。
私たちの業界でカタカナの事務所名はとっても珍しいと言われます。
一般的な事務所名は「崎山社会保険労務士事務所」など漢字が並びます。
なぜサザンフラックス労務室なのか?
代表に聞いても「忘れた」「説明するの面倒なんだよね」とそっけない返事。
しかーし!色々調べたところ、
・サザン=南
・フラックス=亜麻布(あまぬの)という繊維の一種
が判明。
というのも代表は港区南麻布の出身。
・サザン=南
・フラックス=亜麻布(あまぬの)≒麻布
工業デザイナーでもある代表のお兄ちゃんが、
「サザンフラックスがいいんじゃない?」
ということで決まったそうです。
つまり、生まれ育ったところに非常に愛着があるからなんです。
なんといってもおじいちゃんの代から住んでますから・・・。
なぜ"労務室"なのか?
後半の疑問。なぜ「労務室」なのか?
これは代表から聞いたことがあります。
・「社労士事務所」は漢字が多いし、堅苦しい。
・室=roomで、親しみやすいじゃない。
・もともと僕は総務部長を長年やってきていて、
労務問題だけじゃなくあちこちの様々な問題に対応してきたから、
気軽に相談してきてほしいんだよねえ♪
でした。
堅苦しいのが嫌いで、自由な発想を好む代表らしい発想です。
港区をこよなく愛する代表
うちの代表は港区をこよなく愛しています。
実際に、港区の学校のPTA役員を何年もやったり、
現在も地元の麻布本村町の神輿会の役員をやったり。
(役員だけでなく、もちろん神輿もわっしょい担ぎます)←代表のプライベットショットあり
いろんな会合へ出ていました。(最近はだいぶ減りました)
そしてもちろん、本業である、東京都社会保険労務士会港支部にも愛着があります。2年ぐらい前から支部長をやってます。
と言っても、偉い人ではなく、他の役員の方々と次のような活動をします。
・支部の社会保険労務士に情報提供する。
・社会保険労務士同志の交流の場や勉強会を設定する。
・新人の社会保険労務士へのガイダンスをしている。
などなど、同じ仲間である社会保険労務士の頑張りを応援する活動がメインです。
ということで、まとめると、わが社は
「地元である港区をこよなく愛し、気軽に相談できる事務所」
ということになります。
こんなうちの代表については、またおいおいご紹介します。
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2011年02月28日発行
「一つ一つ」
朝ご飯食べながらメイクをする私
私は"ながら作業"をよくします。
手が空いている時間がもったいないと思っちゃう貧乏性な性格だからでしょう。
・お味噌汁を作りながら、お気に入りのDVDを観る。
・メイクしながら着替えや朝ご飯を食べる。
・トイレに座りながら、新聞を読む。(オヤじぃです)
"ながら仕事"はNG
以前の会社でも"ながら仕事"をよくしていました。
・プリンターの印刷待ちしている間に、請求書を作成する。
・コピーが出来上がる間に、電話をする。
・Fax送っている間に、メールを1本作って送る。
皆さんにも経験があったと思います。
効率がいい面もありますが、ともするとNGになることが多かったです。
・打合せ中にもかかわらず、自分の電話が鳴るや受話器を取ってしまう。
「後で電話します」と言えず、打合せが中途半端になってしまった。
・会議用の資料を作成していたら、別の仕事がふと頭をよぎり、気になって別件を調べ始めてしまった。
会議用の資料は?
・問合せの電話が終わったとたん、となりの同僚からの相談が入り、「ちょっと待ってね」が言えず、机の上はメモがグチャグチャに散乱。
結局仕事はどれも中途半端。
後輩ハタケヤマのつぶやきは目から鱗!
〜「一度に全部はできない。一つ一つやっていくしかないんだよねぇ」〜
当時経理部で主に販売管理の業務を担当していました。
営業からの問合せや無理な依頼に対応します。
新たに口座引落を導入して回収をするしくみ作りもしていました。
もちろん請求書の発行や貸倒処理などルーティンもあります。
次から次へと仕事が舞い込んできますので、日々の残業は当然。
目が回る忙しさでした。
そうしているうちに、追い立てられる気持ちになって、
何がなんだかわからなくなり、焦りばかりが募っていたのです。
そんな時、隣の席にいた2年後輩のハタケヤマが1人ごとをつぶやきました。
「一度に全部はできないんだよねえ。一つ一つしかできないんだよねえ」
それを聞いて、もう"目から鱗"!!。
それまでの人生で初めて聞いた言葉でした。
普通に考えれば当たり前のことですが、
アレもコレもソレもドレも一度にやろうとしていた欲張り屋の私には新鮮だったのです。
今の仕事に一つ一つは重要
それまでは、バタバタしながらも早くすることがいいことだと思っていました。
"決戦は金曜日の夜"のように、ギリギリにドラマチックがかっこいい、なんて。
でも。
本当にカッコイイのは、何事もなかったかのようにサラリとやってのける。
知らないうちに進んでいて、しかも確実である。
自分の都合だけでなく、相手のこともイメージしながら作業をしている。
派手だけがカッコイイわけじゃない。
というのを感じています。
特にサザンフラックス労務室で社会保険労務士として仕事をするようになってからは、なおさらです。
依頼者の会社や個人の情報を取り扱っています。
単に情報というだけでなく、これまで歴史や今後の人生も含まれています。
今でも、忙しい時には「一つ一つ」と、いつのまにかつぶやいています。
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2011年02月21日発行
「イイ女8人熱海・鎌倉旅行」その1
高校の同級生女子(現在アラフォー)8人
3連休に1泊2日で高校の同級生女子8人と、熱海&鎌倉へ行ってきました。
コラム#1号で、私の出身は岩手の大船渡市と紹介しました。
高校では、部活が一緒だったり、クラスが同じだったりで友達になりました。
10年ぶりぐらいに会う友達もいてワクワク楽しみでした。
結婚生活や子育て、仕事や家事の合間をぬって各地から集合しました。
地元組の3人は朝5:45分発の電車で出発。一ノ関駅で、盛岡から新幹線に乗ってきた1人と合流して、岩手チームは4人です。
東京駅で2人(私はここ)合流して6人となり、東海道新幹線のこだま号で熱海へ向かいます。
最後に熱海で待っている2人が加わって合計8人になります。
私は東京駅のこだま号のホームで待ち合わせ。熱海へ向かう新幹線の中で、前日に用意したチーズケーキを皆でほおばるはずでした・・・。
「なんで降りダのー!?!?」〜東京駅19番線〜
*40分前は余裕ありアリ*
3連休の初日ということもあり、こだま号は指定席が取れませんでした。
私は、自由席に6人の席を確保すべく、出発時刻の40分前に東京駅に到着。
こだま号は19番線でしたので、3号車の1番前に陣取り、「これで準備万端!整いました!」。
直後に東京駅で合流するもう1人の友達も会い、「久しぶり〜」とさっそく話に花を咲かせました。
先発の岩手チームの到着時間になっても連絡がありません。「こだま号のホームまで距離があるから時間かかっているのかなあ?」と思っていました。
携帯へ電話すると「今、切符買うのに並んでっから」とのこと。
「なんで今頃切符買うの?」と思いました。(訳は後でわかりました)
**10分前はまだ余裕あり**
そうこうしているうちに、こだま号のドアが空き、さっそく2人で乗り込んで席を確保。
しかし「なんか変。うっ、タバコ臭い」と思ってよく見たら、唯二(ゆいに)の喫煙号車。
「え゛――」と思い、すぐ隣の禁煙号車を見に行きました。
すると、私たちのために(と思うほど)真ん中に3人掛け席×2列が空いていました。
「ヤッター」とすぐさま席をクルっと回転させ、マフラー、手袋を置いて、席取り成功。
喫煙号車で待っていた友達に電話して、荷物を持ってきてもらいました。
「ふっー。よかったねえ」と友達と喜びあい、荷物を置き、コートを脱ぎました。
岩手チームにも「4号車へ移動しました」とメール。これで万全と思いました。
***1分前はさすがにアセっ!結末は・・・***
直後に車内アナウンスが「こだま号は間もなく出発です」と放送。
「むむっ」と思い時計を見ると出発予定時刻の1分前!
「何!!」と慌てて岩手チームに電話するも「只今おかけになった電話は〜」と出ません。
一緒の友達とも「どうしよう、どうしよう」と。2人で出した結論は、
「私たちがこのまま乗って、岩手チームが置いてけぼりになるのはかわいそうだよね。
次のこだま(30分後)で一緒に行けばいいよね」でした。
荷物を下ろし、コートを羽織り、あわてて新幹線の出口へ進みました。
しかし、まだあきらめきれず、降りて再び入口付近で岩手チームの到着を待とうとしましたが、駅員さんの「ピッピッ」というツレナイ笛の音で断念。あえなくホームに下がりました。
その直後、私たちが下りたこだま号の中を歩いている岩手チームを見てしまいました。
「あ、マキちゃんが乗ってる・・・」。ガーン。
後で岩手チームから聞いた話です。
電話で私たちが一度乗ってから降りたと聞いて、
岩手チーム:「なんで降りだのー?!」
それを聞いて私:「ぇぇぇえっー?!」
(長いので、その2へ続く)
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2011年02月21日発行
「イイ女8人熱海・鎌倉旅行」その2
イイ女はまず食べることから
その後、無事に熱海駅へ到着。熱海はあいにくの雨でした。
ランチは大観荘でいただきました。ここでようやく8人が合流。
待ち合わせハプニングの話に盛り上がりながら、鉄板焼きを食しました。
マシッタ!(美味しい!)。
(8人分の肉を焼くとこうなります。↓)
その日の夕食も腹いっぺー(お腹がいっぱい)になりました。
熱海は男性のお客様が主だったそうで、これでもか!!というぐらいメインの品がでてきます。最後は手つかずのお料理もありましたが、おいしくいただきました。
(写真の半分はスッピンなので小さく撮ってます↓)
一応お勉強も
ランチの後、熱海梅園へ移動。
見ごろと言いたいところでしたが、あいにくの雨で香りを楽しむことはできませんでした。
今度晴れているときにゆっくり観たいです。
続いて「起雲閣(きうんかく)」へ。熱海3大別荘の一つとのこと。
私は熱海へ行くのは初めてで「熱海ってこんなところなんだなぁ」と。
(ガイドさんの説明を聞く女子アラフォーたち↓)
その後、伊豆山神社へ行き、独身2人は縁結びのお守りを熱心に見て買っていました。
翌日は鎌倉の鶴岡八幡宮へ参拝。(↓倒れた木の後からこんなに芽が伸びてます)
これでイイ女力が上がったはず。
よく喋る女8人+もう1人
元々喋る8人でしたが、旅行で一段としゃべくりまくり。そして笑いっぱなし。
旅館での夕飯後は、8人部屋に修学旅行のように布団を敷き、寝っ転がりながら"ガールズトーク"
(うん?レディーストーク?)。
女子A美:「先月、お尻のあだりに大きなおデキがでて手術したんだー。見で見で」
女子B子:「この前旦那が屁しだ時、私隣にいて『今なんて言った?』って
屁の音が言葉に聞こえだのよ〜」
もう笑うしかありません。
そして、東京駅での待ち合わせハプニングの時の、岩手チームの動きを細かに再現。
女子マキ:「とにかく走んなきゃと思ってさぁ。仕事でもこんなに走んない。」
女子A美:「わがんないけど『まず乗れ』って声が、どっからが聞こえできて、乗ったんだ」
女子C江:「もうマキちゃんの後を必死でついてったんだ」
女子B子:「東京組みが新幹線から降りだって聞いて『なんで崎山降りだのよー。
私だちって信じられでないんだなあ』」
身振り手振りがつき、爆笑の連続。久しぶりにお腹の底から笑いました。
喋りにさらに強力な助っ人が登場。旅館の仲居さんのアイコさん。
部屋へのお茶出し、夕食時、朝食のお迎え、朝食時と、おしゃべり量の3割は彼女が発していました。観光名所から横須賀の選挙事情や昨今の民主党のことまで、喋る喋る。ずっと私たちのそばにいらっしゃいました。
( さらにその3へ続く)
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2011年02月21日発行
「イイ女8人熱海・鎌倉旅行」その3
やっぱり飲む!
私は「昼間はみんなお酒飲まないよなあ」と思ったのですが、甘かった!
岩手チームは朝9時前から、私たちも昼間からビールで乾杯。ランチもビールにワイン、夕食時もビール。部屋で寝っころがってからもビールに缶チューハイ。
翌日は朝ごはんもたらふく食べて鎌倉へ移動。お土産を買うため小町通りをブラブラしていました。「お茶でもしようっか」と喫茶店に入りました。
メニューを見ながら「食欲ないから・・・私ビールでもいい?」と1人。さらに私も追随。
別行動でお好み焼き屋さんに入っていた2人からもメールで「飲んでっから(ビールマーク)」とのこと。よくよく好きな人たちでした。
また行きたい・・・
楽しい時間はあっという間に終わります。
鎌倉で1人抜け、横浜で1人が帰り、品川では1人が別行動のためさようなら。
東京駅でも2人が帰っていきました。
旅行当日に旅のしおりが配られ、副題に「バトンリレーの旅」とありました。
それは1人づつ増えていって8人になることでしたが、帰りは逆でちょっとづつ人数が減っていきます。
私が電車を降りてから、岩手へ帰って行った女子E江からメールがきました。
「崎山が新幹線降りたとき何か凄く寂しくなったー」。
思いっきり楽しかった分、寂しい気持ちを募るんですよねえ。
(旅のしおりは女子E江のご主人の力作!
タイムスケジュール、観光スポットの見どころ、おみやげ案内まで。感謝!!)
旅行が終わって、みながそれぞれメールで感想を伝えあっていました。
「ホント楽しかった。やっぱりこのメンバーだな。また行こう」
「(今回参加できなかった)○○ちゃんにおみやげと写真を送ったよ」
「元気をもらった。ありがとう」
今回参加できなかった女子たちも含めて、また行きたいです。
ホント10年後でもいいので。
そしてさらにオバチャンPowerを増し、飲み、喋り、笑い転げたいです。
(ゆかいな女子たち↓)
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2011年02月14日発行
「まえのめりノート」
ノートが前に倒れているの?
ではありません。(笑)
まえのめり株式会社の代表の加藤さんが作った「ひらめきマップ」をご紹介します。
加藤さんの会社は会社の想いや、個人の自己発見の過程や結果をイラストにして、カンタンにわかりやすくする、をお手伝いしている会社です。
その加藤さんから「ひらめきマップ」をタダで頂いちゃいました。(↓白紙です)
一見、何?と思いました。
でも、使い方や書き方の見本が載っていてわかりやすいです。
ひらめきマップはこんな時に使います
例えば、「自分は何がやりたいんだろう?」と迷っている時、空を見上げているだけでは先に進みませんよね。そこで、自分のやりたかったこと、子どもの頃の夢、今こうしたいなどを、自分なりに書いてメモしていきます。最初は何となくだったことが、文字にしてみると、意外と見えてきます。書くのにルールというものはないそうで、自由に書いて行くものだそうです。
また、業務タスクや、プロジェクトマネジメントなど、仕事にも使えます。
お友達の輪など、1人だけじゃなくグループで使うのもありです。
詳しい使い方や、実際の書いた見本は加藤さんのホームページをご参照ください。
http://maenomeri.net/kojin.html
私は本を読んだときに使っています
「なるほど」と想い、私は本を読んだときに印象に残った言葉や感じたことを章立てにして書くようにしました。
(↓かなり字が小さくてすみません)
仕事柄、顧問先の方からの相談事によっては、本の内容を引き合いにして話すがあり、また原稿を書いたり、研修の講師でしゃべる機会など、役立ちます。
書くのはもっぱら電車の中
「書く時間がなーい!」と嘆きたくなりますよね。私は電車の中で書きます。おばちゃんの勢いそのものに、空いている席を見つけて椅子取りゲームに勝ち、本を読みながら書きます。でも、本を読むのに夢中になり、書くのを忘れることも。(↓空欄もチラホラ)
でもそれでもいいのです!義務感を持つと長続きしませんから。
ひらめきマップは1冊350円(税込)
欲しいと思った方は、まえのめり株式会社へお問合せ下さい。
一冊350円です。
(宣伝を頼まれているわけではありません)
http://maenomeri.net
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2011年02月07日発行
「1週間の献立を作る」
私は主婦歴4年です。私の献立の作り方をご披露・・・と言っても、内容ではなく献立作りから買い物までを書いた「お料理ノート」とそのきっかけ話についてです。
この「お料理ノート」とは、普通のノート1ページに、1週間分の献立を考え書きこむものです。まとめてお休みの日に立てます。あわせて買い出しする食材もメモにピックアップします。これを4年間続けています。(↓ノートは4冊目へ突入)
献立を作るときは、@レシピ本と旬の魚&野菜カレンダー、Aお料理ノート、B今の冷蔵庫の中身を記憶する、C買い物メモ、D今月は後いくら使えるか、の5つは必須です。(A実際のノートは↓こんな感じです。見えるかな?)
最初は1時間ぐらいかかっても出来上がらないこともありました。「うーん、生みの苦しみ!!」となり最後は「外食」と書いてあきらめたこともありました。最近は30分で出来上がることもあります。今はタニタさんが発売したレシピ本がお気に入りです。
なぜこれを作ることになったかといいますと・・・以前勤めていた会社を辞め、住むところも引っ越し、専業主婦となりました。お気楽に生活しよう♪と思っていました。
がしかし!18年もサラリーマンをしてたため、「床やトイレ掃除を1週間のルーチンにどうやっておとそうか?」、「夕方は何時からご飯づくりを始めればいいか?」など業務タスクとして考えるクセが身についていました。癖はなかなかなおらないものですねぇ。
買い物についても効率的に動くにはどうしたらいいか?を色々試しました。「回数は1週間に2回?3回行くのがベスト?」「スーパーは2箇所?3箇所を回る?」「スーパーを梯子するときはどういう経路が最短?」「レジが混まない時間帯は何時ぐらい?」などなど。それでもどうも思うようにゆかず、毎日イライラが続きました。
さらに、安いからと食材を買っては冷蔵庫で腐らせ、まとめて買って冷凍すればいいようなぁと思ってみても二度と冷凍庫からは出てこず仕舞い・・・。生来の貧乏性なので食べずに捨てることもストレスに拍車をかけました。
スーパーに行ってから献立を考えるというベテラン主婦のような器用さがなかったんですねぇ。
そこで!1週間の献立を考え、冷蔵庫にないものを買い物メモにして、ムダとムラをなくすようにしました。何より1週間に2回決めた日スーパーに行けばよく、事前にわかっているからエコバックを持っていけるし、買い物嫌いの私の生活がラクになっています。
「献立なんていくつかのレパートリーを回せばいいんじゃないの?」「回数をこなせばそのうちできるようになるわヨ」という方もいらっしゃるでしょう。きっとなのそうでしょう。
でも私は「自分が食べたいものを作る!」主義なんです。季節のものや、しょうゆと味噌以外の調味料にもトライしてみたいし、揚げ物は面倒だからそれ以外の料理を作りたい、自分の体が欲しているものを作りたい!と思うタチなのです。ちなみにカロリーや栄養はほとんど考えてません。
早くベテラン主婦になってさっそうとスーパーを駆け抜けたいです・・・。
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2011年01月31日発行
「研修の講師をしました」
先日1/20にA社様の管理職向けに、「両立支援についての理解と実施 〜育児・介護と仕事の両立をさせるために〜」と題する研修を行い、講師を担当しました。
午後3時からの約2時間、つたない私の話にもかかわらず、管理職の方たちは最後まで退屈されることなく参加していただきました。感謝です。
「両立支援」とか「育児・介護」ときくと、ちょっと難しく感じたり、女性だけの話で自分には関係ないかなあ?と思う方もいらっしゃいます。実はそうではなく、『部下や同僚あるいや自分にも当てはまる目の前に起こることなんですよ〜』と考えていただくような構成にしました。
内容を簡単に説明します。([ ]内は研修を進めるにあたって工夫した点です)
・A社の育児・介護休業規定から問題を10問だし、その場で答えてもらう『Q&A』を実施
(例「介護休業の期間は、通算6ヶ月である。YESかNOか?」)
[チョッと工夫・・・配布する資料に書いてしまうと参加された皆さんが下を向いてしまい発言を促せないので、ホワイトボードに貼って顔を上げて考え発言しやすいような雰囲気を作ってみました。]
・両立支援とはどんなこと?具体的に何が嬉しい?会社と従業員双方から見た嬉しいこと
・両立支援を妨げるもの・・・実はコミュニケーション不全が阻害要因であること
[チョッと工夫・・・配布した資料は、字はなるべく少なくしてイラストをふんだんに使い、よりイメージしやすいように作ってみました。]
・コミュニケーションがうまくいっていないと、メンタルヘルス疾患をも引き起こす可能性があること(うつ病やストレスを例に)と、その対処方法
[チョッと工夫・・・対処方法を覚えやすいようなフレーズにしたり、グラフや絵にして解説してみました。]
最後に、自分の職場のコミュニケーションに関して、チェックシートをつけてもらい、自らで診断していただきました。
内容が盛りだくさんになりました。本当はまだまだお伝えしたいことはあったのですが、時間も予定より30分オーバーしたのでこれぐらいでお開きとしました。
最初のQ&Aでは、はじめ「わからないなあ」と答えるのに遠慮がちだった管理職の皆さんも、次第にリラックスされて、笑いがおこったり、逆に私に「このような場合はどうしたらいいのか?」と質問をいただいたりしました。Q&Aは研修を始める前の"頭のストレッチ"のつもりだったのですが、結局1時間となりました。
コミュニケーションのところでは、やはり昨今ニュースでも取り上げているメンタルヘルス疾患に関する予防策のところでメモをとるなど熱心に聞いていらっしゃいました。
社会保険労務士の仕事をしていますと、普段は経営者や人事・総務担当の方とお話しすることが多く、それ以外の方と接する機会が少ないものです。そういう意味では今回の研修で管理職の反応を直接感じたり、お話ができたのはとても楽しい経験でした。研修の発言や雰囲気を通して、A社の新たな課題が見えたのも嬉しい収穫です。またこういう機会を持ちたいと思いました。
研修の風景
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2011年01月21日発行
「厄年の年祝い」
社会保険労務士のさきやま(崎山)です。
このコーナーを担当します。
"はたらく"をメインテーマとしながら、日常で感じたこと、考えたこと、行動したことをつづっていきます。メインテーマ以外のことも。
プロフィールはおいおい説明しますね。どうぞお読みください。
※更新不定期です。
さっそくタイトルの説明から。
私は岩手県の大船渡という小さな港町の出身です。この地方には、昔から「厄年の年祝い(としいわい)」という行事があります。これは、厄年(男性は42歳と60歳、女性は33歳と60歳※いずれも数え年)のお正月休みに、小学校や中学校の同級生が集まって、神社で厄払いをし、厄除けのお祝(飲み会)をします。当時担任だった学校の先生もお招きします。
案内をもらった時、「どうしようかなあ?」と迷っていましたが、幹事から「次に会うのは60歳だぞ。それまで生きて会えないかもしれないから、会っとけ」と誘われました。実際に病気等で亡くなっている子もいましたので、そうだよなと思い行ってきました。
私の中学校は、同級生が83人の2クラスという小さな学校だったので、全員の顔と名前がわかっているはずでした(参加者は44人)。がしかし、卒業から25年も経っていることもあり「あれ?顔はわかっているけど名前が思い出せない」というのもチラホラ。幹事がしっかり名札を用意してくれたのには助かりました。
近況を聞いてみると子どもが3人いたり、課長や支店長になっていたり・・・当時は悪ガキだった子が、家庭や会社で中核を担っているなんて不思議な感じでした。
私が中学の時に3年間担任だったM先生にも久しぶりにあって大はしゃぎ。当時反抗期の真最中で、態度、言動、どれをとってもダメダメな私と、根気よく正面から向き合っていただきました。(最後は更生して卒業しました)。社会人になってある件で進路に迷った時にM先生に電話で相談したのですが、先生もそのことを覚えて「あの後どうなった?」と気にかけて下さいました。恩師は本当にありがたいです。
年のはじめに嬉しい出会いがあり、新しい気持ちで色んな事に取り組めそうです。
(気合い入れて着物で行ってきました。自分で着たんですよ。)
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